日本デイケア学会

会員の声

■2005年9月27日(火)■
「第9回大会特集・大会長講演「変革の時代におけるデイケア」を読んで」
前茨城県立友部病院医師 弘末明良

 ひごろ窪田彰医師の、包括的な実践に敬意をいだく者です。
 窪田医師は、「改革ビジョン」に裏打ちされた「自立支援法(案)」に一定の理解を示しながら、医療デイケアの行方に関して、「荒海に漂っている小舟の様な」と、危ぐしました。私も同じ意見を持っています。
 危ぐの理由を挙げます。
従来の外来通院「公費負担」が、ユーザーの「応益負担」に変わること。
市町村実施主体の地域ケア・デイサービスなどの理念は良いとしても、現実の市町村の精神福祉は、いまだほとんど「底上げ」がなされていないため、「画餅」に終わる心配が大きいこと。
精神科デイ(ナイト)ケアの充実は、診療報酬制度次第であり、医療費削減が叫ばれる中で、間違いなく抑制されるであろうこと。
21世紀前半に統合失調症の入院率が半減するにしても、認定難治疾患に比べれば、なお大変な数の重い慢性患者さんが存在し、脱施設化と継続治療を必要とすること。そしてわが国の現状では、ACTよりもまずデイケアが必要であること。
④は、ハンセン氏病対策などと「構造的」に似て、わが国20世紀の「負の遺産」であること。このような犠牲者の「応益負担」は論外であり、国財政として返済義務を負うこと。この「不作為の作為」に関して、精神科医も免罪はゆるされず、デイケア・ホームケアによる地域ケアの充実こそ、(故)加藤正明先生の御遺志であること。
増え続けるうつ病はもとより、適応障害や、発達障害と関連した人格障害の、プレ・ホスピタル治療として、医療デイケアは欠かせないこと。

 以上の見解は、「福祉も医療も」必要とされる地域ケアに関しての、医療面からの危ぐです。
 中国の古いことわざ「小医は病を医し、中医は人を医す。而して、大医は国を医す」にある「医」とは、いやし(healing)であり、大医とは、国自体のいやしであると同時に国政による国民のいやしだと、私は考えています。
 ちなみに health という語は heal に由来し、いやし続けられる動的恒状態(homeostasis)が、保健・健康でありましょう。 the whole(包括)・holistic(包括的)という語も、heal に由来します。 こんな事情もあり、これまで多くのこころある医師たちは、包括医療(holistic medicine)やプライマリーケア医療を推進してきました。
 とは言っても現代、中医や小医のパターナリズムによる「副作用」が、目立ちます。ふつうに言う「治療」は、「生活・くらし」の一部であり、医療より福祉が大切であることは、どの精神科医もわきまえていることだとおもいます。
 デイケアにおける多職種の協働こそ、ユーザーばかりでなくスタッフの HEALTH を支える、治療共同体(therapeutic community)という場の力(dynamics)でありましょう。

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